豊年祭!

びがぁ

2011年07月20日 15:31

はいさい

夢の中でカンパチジギングしてました。家の庭で(笑) いやー爆釣!地面の中から釣れる釣れる!若干フリてきましたこんにちは。


・・・・釣りネタではないけど

毎年この時期は各地で豊年祭があり、近年では観光の面からも注目され、ツアー的なものもあるとか?

僕も青年会時代から地元平得の豊年祭に携わり、いまではツナヌミンの指導者しています。

このツナヌミンの練習は毎年3週間前後の期間を設けてやっていますが、正直3週間では短いと感じる今日この頃(笑)



日中は仕事して夜は8時から10時過ぎまでみっちり練習。
日曜日は綱カキや本番用のワラジ作りなどで忙殺されっぱなし。もちろん夜は練習。





えぐっさんから大洋丸に誘われたけど、豊年祭当日なもんで泣く泣く断念。。。

ほんとに次に海に出られるのはいつになるのやら・・・





ここで僕が携わっているツナヌミンについて少し解説。

※先に断っておきますが、各地域によって伝えられている事は多少異なってきますので、はっきりとした正解は無く、口伝の中で若干変わってきますのであくまで諸説の1つとして聞き流してくれれば幸いです。


「ツナヌミン」。もう読んで字の如く「綱の耳」、つまり綱引きの結びあう先端の「耳」を表しています。

勇壮に戦いあうツナヌミンもあれば、厳粛に五穀の受け渡しをするツナヌミンもあります。

地元平得のツナヌミンは戦う方なのですが、祭りの中でもストーリーがあり、祭りのときは村を東西に二分し、競い合いますが、最初に競い合うのが「旗頭」で、腕自慢の頭持ち達が競い合います。



しかし双方甲乙つけ難く勝負はつかず、じゃぁ今度は村人総出で綱引きをして、勝敗を決めようぜってのが祭りの流れなんだけど、その大綱引きの東西を結ぶ合わせ目の耳。これを象徴したのがツナヌミンです。


何百年も前から擬人化というジャンルに気付いていたとはさすが(笑)

東・西それぞれの旗頭はその村の魂・シンボルでもあるので、平得村ではそのツナヌミンを演じる人を村の「大将」として接します。


まず、

・着替えは付き人が全て行い、「暑い」といえば扇いでやり、「喉が渇いた」といえば飲み物が出てきます。

・地べたを歩かせるのは畏れ多いので移動の際は付き人がおぶって移動。
 また、地面を歩く=「土をつける」との解釈で負けを意味する考えもあるみたいです。

・当日は個を滅し、「村の大将」となるので親兄弟でも簡単に接することはできません。




双方が持っている武器は鎌と槍ですが、これにも意味があり、諸説あります。
「政府と民との戦い」とか、はたまた「牛若丸と弁慶」とか。



平得村にはこんな言い伝えがあります。

その昔、とある豪傑がいて、周辺の村を襲っては食糧や酒を奪っていき、村々は困り果てていた。 この豪傑こそが鎌の使い手だったそうな。
そこで人々は槍の達人を雇い、その豪傑を成敗しようと試みる。


とある晩、豪傑を接待し酒を飲ませ、ひるんだ隙を狙って槍使いが襲ってくるが、鎌の使い手も達人であるゆえ簡単にはやられない。


鎌の使い手は片目を失いながらも応戦し、とうとう決着はつかなかった・・・


そんなエピソードが元になっているとかいないとか(笑)
※「村の大将であるツナヌミンが強奪をするようなならず者であるはずがない!」と鼻息を荒くする先輩がいるのであくまで諸説ということで(笑)

実際、僕も個人的に調べていくうちに上記の説には疑問点が幾つかあり、これには隠された裏エピソードがあると睨んでいるんですよね(笑)
全てのキーワードが「オヤケアカハチの乱」に結びつくのがとても興味深い・・・・


この平得村のツナヌミン。桃林寺に奉られている仁王像のモデルにもなっているらしく、そのモデルとなった人は、巨躯ないでたちとは対照的にとても気が優しかったそうで、出来あがった仁王像をみて、「自分はこんなにも怖い顔をしているのか・・・」と凹んだという逸話が現代まで語り継がれています(笑)



このツナヌミン。 石垣島では平得の他に新川(四ヶ字)、大川、大浜の4地区で行っており、また各地区のツナヌミンには他の地区に無い特色がそれぞれあるので、機会があれば見比べてみるのも面白いですよ~




20年後くらいに自分の子供が出られたら最高だろうなぁ・・・



今年は7月23日(土)にムラプールを行いますので、ぜひ見に来て下さいねー!


あなたにおススメの記事
関連記事